2024年3月26日火曜日
崩壊する世界、日本はアメリカに学ぶべきか?
2024年2月24日土曜日
人生をバランスシートで考える
Blackbird singing in the dead of night. の後に続く take these broken wings ~ のところからベースライン(親指)は5弦を上がって下がります(|3456|7766|54|3333|2200|)。
2024年2月16日金曜日
リーダーであり続けるには?
“経営の神様”ドラッカーが語る、「成果を出すリーダーの8つの習慣」とは?
https://diamond.jp/articles/-/337767
ドラッカーは30代の頃に読んで教科書にしたものです。今の自分が読んでみるとどう感じるのでしょうね? ドラッカーはビジネススクールで教えるようなことではなく、人間を考えたんだろうと思います。30代に読んでおいて40代で実戦してみるのがいいのでしょう。ドラッカーはリーダーシップ形成のための教科書です。今の日本の政界・財界・メディアのリーダ達を見ていると、ドラッカーからやり直すべきだと強く感じます。
リーダーシップって読書からつくられるのは確かです。それは常に準備しておくということです。そして、リーダーになるような人は幸運やタイミングを逃さない。「Sense and Respond」の sense 力が極めて強い。つまり嗅覚が強い。そして、より多くの実践経験を積んでいる。知識(読書)と実践がリーダーシップに繋がるという事です。
ここからが問題なのです。
強くあり続ける、リーダーで有り続けるにはどうすべきか? 組織のリーダーでなくても、還暦を過ぎた人が残りの人生をどう生きるかにつながるのです。40代後半から50代になるとだんだんと傲慢で独善的になる。組織のリーダーでなくても、高齢になればなるほど組織のリーダーが陥る傾向が出て来るのです。だとすると、自分の人生の振り返り棚卸しをすることが不可欠でしょう(know yourself)。価値観や限られた時間の中での優先順位の整理をすべきなのです。自分をよく観察して目標を再設定する。社会の情況を判断し to-do list を再設定するのです。
60代になってからでは it is too late。
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2024年2月14日水曜日
スーパーボウルとテイラー・スイフトと大統領選挙
もしテイラー・スイフトの恋人であるカンザスシティチーフスの Travis Kelce が逆転タッチダウンを決めたクォーター・バックだったら、もっと完璧なパブリック・ロマンスでしたね。
歌手テイラー・スイフトのことはあまり知りませんが、初めて YouTube で彼女のステージを観ました。ユーミンなんかはスイフトのステージを参考にしているのか?(もしかしたら逆?)。スイフトは自己肯定、自己絶賛型の私小説家じゃないかと思います。なんだか自己破滅型の太宰治とは真逆です。今回のテイラー・スイフトの東京ドーム公演(2月7~10日)の最後の曲『Karma』(因果応報)なんて、彼女のスーパーポジティブな性格を表している歌詞です。シンガー、エンタテイナーとしては実力人気ともに一流でしょう。
テイラー・スイフトは前回の大統領選挙では民主党バイデンを支持しました。今回はどうするのでしょう? 民主党はテイラー・スイフトに民主党支持だと言わせたくてしかたがない。しかし、民主党が大統領選で勝つには、トランプを牢屋に入れるか、選挙で再び不正をやるか、それともテイラー・スイフトを候補に立てるかの三択じゃないかと思います。
アメリカは政治もスポーツもメディアも、当然エンタメも、全てが金儲けの世界です。私はアメフトは好きなスポーツなので毎年スーパーボールを楽しみにしています。スーパーボールを観ているといつもアメリカの大統領選挙が重なってしまいます。スーパーボールのハーフタイムショーなんて、大統領選挙のスタジアム(アリーナ)でのキャンペーンに近い。
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2024年1月28日日曜日
50年の日々
2024年1月23日火曜日
The Beatles GET BACK
28年ぶりでビートルズの音楽を購入しました。The Beatles 『Get Back』(3枚組 blu-ray)です。1996年に『アンソロジー』をCDで買ったのが最後でした。
2024年1月20日土曜日
心を癒す
能登半島地震 海外メディアが注目する災害時における「日本人の行動」
By - ニッポン放送 NEWS ONLINE
https://news.1242.com/article/490231
今の世界は、個人も国家もエゴが充満していて(要するに、多様化やグローバリゼーションです)、エゴだらけで、エゴとエゴの戦いじゃないでしょうか? もともと心を癒すのが目的の宗教が、自我を緩和するのではなく自我を増長して相反する自我を抹殺しようとする。
ぼくたちの思惟が他人の思惟とくいちがうとき、あるいは現実の抵抗を感ずるとき、ぼくたちのなさねばならぬことは、それらを性急にくみふせようとあせることではなく、まず自己の発生の地盤を見いだすことである。